歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 境内に桜ない小野神社末社祭り後半は聖跡桜ヶ丘桜祭りで満喫
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    武蔵一之宮小野神社 末社祭り 平成22年4月(毎年)

末社祭りであるが本格的な祭礼隊列の巡行です。'10.04.04.
武蔵一之宮小野神社の大太鼓と神輿と山車が連なって川崎街道を巡行です

14の神が祀られる末社殿。'10.04.04. 鮮やかな朱色に染まる拝殿。'10.04.04. 見事な彫刻に覆われる隋神門。'10.04.04.
祭りの主役の14社祀る末社殿 朱塗りに染まる拝殿の奥に本殿 彫り物施した重厚な隋神門

武蔵国一之宮小野神社末社祭り。'10.04.04.(日曜)多摩市一ノ宮 1-18-8。
末社殿  外見は細長い普通の民家瓦葺のような構えだが、 伊勢神宮内外宮、鹿島神社、三嶋神社 厳島神社、愛宕神社、八坂神社等の神が祀られている。
 

今年初の撥さばきに気合が入る。'10.04.04. 祭り囃子に合わせて神輿を見送る獅子と狐。'10.04.04. 隋神門を出れば威勢よく担ぐ。'10.04.04.
初の撥さばきと御太鼓の試し打ち 獅子と狐が舞う山車に見送られ 隋神門を潜り出る神輿

桜は満開ですが花曇りの肌寒い天候です。境内は氏子婦人会の屋台のみ。午後1時半になると、神官もいない宮出しの挨拶が始まり、 乾杯の後、神輿が担ぎ上げられ境内から随神門に向かう。
高張り提灯を先頭に先導する大大鼓は随神門脇から、神輿は獅子と狐が舞う山車に見送られ隋神門をくぐる。 その後を山車が続く。氏子区域の駅まで行って帰ってくるだけの巡行が2時間前後ですが、 しかし高張り提灯と大太鼓とお囃子山車も付く例大祭と同じ本格的巡行なのです。
 

高張り提灯に続く大太鼓。'10.04.04. 氏子西部区域を巡行。'10.04.04. 祭り囃子途切れない山車。'10.04.04.
祭礼行列先導の大太鼓 神輿が掛け声と共に続く 殿務める山車が鳥居を潜り出る

大太鼓は福島県田村郡三春町で昭和56年の建造です。 ブビンガというアフリカ産の大木をくり貫いて作られ牛の皮が張られている。 大国魂神社に次ぐ日本で2番目の大きさだとか。
旧宮神輿は文政3年建造神輿で、昭和11年に国分寺本田八幡神社に譲り、 現在の宮神輿は昭和8年に作られた台座3尺3寸の神輿です。

   (その宮神輿は改修工事中であり、末社祭りで担がれた神輿は三つ巴紋に白の飾紐で、
      宮神輿より一回り小振りの神輿が代行巡行だったのです。)

山車は昭和53年に作られ、昭和52年に結成された一之宮囃子連が乗る。
 

祭礼行列は聖跡桜ヶ丘駅前まで巡行。'10.04.04. 聖蹟桜ヶ丘オーパ前から神社へ戻る。'10.04.04.
川崎街道の聖跡桜ヶ丘駅前まで巡行 隊列整えて聖蹟桜ヶ丘オーパ前から神社へ戻る

小野神社は中世には武蔵国衙に近在する筆頭の神社、武蔵一宮であった。 創建は安寧天皇18年(古事記、日本書紀に伝えられる第3代の天皇)と社伝に伝えられるが、 史料としては奈良時代の(772年)に作成された太政官符(太政官の正式な公文書)に初めて名が記載されている。
後北条氏、太田道灌らの崇敬を受けて栄えた。江戸時代には一宮大明神と称され、江戸幕府より朱印地15石を寄進される。 神域は1150坪、大正15年の失火後の再建という。
小野神社の社殿、鳥居、隋神門、賽銭箱、神輿などに菊花紋章(十六菊の紋章)がつくが、 この紋章は大國魂神社、明治神宮、日枝神社、靖国神社など限られた神社でしか使用されていない。
 


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